パチンコ業界は規制や規制緩和との兼ね合いが非常に多い業界であり、その度に遊技機や営業形態の見直しが行われています。 それに伴い遊技人口の増減があったり、業界の規模が縮小したりと目まぐるしく業界全体に影響が出ています。 パチンコ業界全体の歴史を見ても今まで、規制後にユーザー離れや業界全体の大規模な縮小などが頻繁に行われてきました。 今までパチンコ業界で大きく影響のあった規制や、今までの歴史を振り返ってみましょう。
パチンコ業界の歴史、起源
日本におけるパチンコの起源は諸説ありますが、戦前大阪の露天商から一銭パチンコが全国に広がったものだと言われており、昭和5年に名古屋でパチンコホール第一号の店舗が開店しました。
その後わずか半年間で全国に35店舗ものホールが開店するなど、全国的な大ブームが起きました。
その後ギャンブル性の高さなどが社会問題へと発展して、パチンコ禁止令なるものが発令されます。韓国、中国、台湾などに出店を試み進出していきましたがうまくいかず、撤退していきます。
日中戦争が始まり、新規出店の禁止やパチンコ玉などの金属も回収されて開業することが困難な状況にたたされてしまいます。
その後戦争が終わると今のパチンコの原型とも言える正村ゲージが登場して、昭和26年に空前のパチンコブームが起こります。
パチンコ店も全国に4万店舗以上になり急増しましたがそれに伴い15歳未満の出入り禁止から18歳未満の入場禁止へと規制はどんどん厳しくなっていきます。
パチンコに関係する規制の種類
一口に規制と言っても遊技台のスペックに関わる規制のみでなく、広告宣伝に関わる規制、テレビCMの規制、釘の規制など様々な規制があります。
①広告宣伝に関係する規制
業界全体、特にユーザーへと大きな影響を与えた規制の1つです。
昔はイベント時などに大々的に告知宣伝をするために、新聞折り込みチラシなどが大量に入っていましたが今では新台を導入した当日以降に限られており、店舗にとっても大きく営業方法を変える1つの規制となりました。
②テレビCMの規制
今ではパチンコに関するテレビCMは全く流れなくなりました。
企業も企業イメージのCMのみで、2011年の東日本大震災以降の自粛ムードから店舗の店休日を増やし、CMを自粛しておりその流れが今も続いています。
③釘の規制
パチンコ店にとって広告宣伝にならび大きな影響を与えた規制です。
本来は風俗営業法により釘の調整は違法行為ですが検定試験を通過した新台がメーカーの出荷時とは異なる釘の状態で設置されており、警察は遊技機の不正改造とみなしました。
規制に伴うユーザー離れ
パチンコ店のユーザーは規制に伴い離れているのが実情で、1994年には全国に3,400万人いたユーザーも今では900万人に縮小しました。
これは遊技機への規制が厳しくなったことが原因ではないかと言われていますが、一概にそうではないと感じます。
確かに規制が厳しくなり、射幸性が低くなったことは事実ですが今でも900万人ものユーザーがパチンコで遊んでいるからです。
ユーザーが離れていった理由は規制以外にもスマホの普及に伴いamazonプライムやネットフリックスといったサブスクサービスの普及により娯楽が多様化したことも要因の1つです。
まとめと今後の課題
様々な規制があるたびに、その都度業界全体が終焉だと言われてきましたが、今でも様々な問題を乗り越えて業界全体で盛り上げようと工夫しています。
業界全体が健全なものになるように、趣味や娯楽の多様化が進んでいる現状を受け止め、常に最新の遊びが提供できるように企業努力してきた結果が今でもパチンコ業界が残っている結果ではないでしょうか。
今後も様々な規制や緩和が起こっていきますが。その度に今までのやり方を見直し、健全化が進みよりよい業界へと変貌していくことでしょう。