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【パチンコ業界の基礎知識】パチンコの歴史

2022.07.17

現代は、スマホゲームを始め多種多様な娯楽で溢れています。そして娯楽の代表格といえば今も昔もパチンコです。パチンコの歴史は古く、始まりは大正時代からと言われています。 この記事は、そのパチンコ業界の歴史ダイジェストです。また現状の課題についても言及しました。 ぜひ最後までお読みいただき、参考にしていただければと思います。

<パチンコの歴史>

パチンコの歴史を紹介します。

 

パチンコの始まりについては、“大正時代にヨーロッパから輸入されたウォールマシンが日本で広がったもの” (ウィキペディア)と言われています。

 

初期の頃のパチンコ機はクギが単純に配列されているだけの台で、露天における子供向けの遊びでした。お菓子が景品で、呼び方もパチンコではなく「ガチャンコ」「パチパチ」と呼ばれていたそうです。その後、一銭銅貨を弾く本格的な「一銭パチンコ」が大人の間で人気になりました。1932年頃のことで、その始まりは名古屋といわれています。

そして1948年に「正村ゲージ」が考案されました。「正村ゲージ」とは、名古屋でパチンコホールを営んでいた正村竹一氏が考案したクギの配列のことです。※パチンコ業界のゲージとは、「クギとクギの間隔」や「クギ構成」のことです。

 

天釘、ヨロイ釘、風車、ハカマなど、今のパチンコ機のクギの並びは「正村ゲージ」が元になっています。この「正村ゲージ」のクギ配列により玉は躍動的な動きになりました。そしてゲーム性が増したのです。

 

この「正村ゲージ」のパチンコ機が起爆剤になって、パチンコは凄い勢いで全国的な人気を得ていくことになります。

 

「名古屋はパチンコのメッカ」とよく言われるのはこのような歴史があったからで、パチンコは名古屋から始まったと言っても過言ではないのです。

 

しかし人気が拡大していく一方で、パチンコの持つ射幸性やパチンコ依存症に社会的批判が寄せられるようになります。そのために例えば1954年(昭和29年)には、連発式パチンコ機の禁止令が出たりもしました。

 

こうした批判を受け止めながら、パチンコ機メーカーはパチンコ機の開発に取り組みます。

 

1960年(昭和35年)のチューリップを始め、電動式、テレビパチンコ、フィーバー、羽モノなどのパチンコ機が開発され、そして現代に至ります。

 

またパチンコホールもモータリゼーションの時代に合わせて、繁華街から郊外へと立地を広げていきました。

 

このようにパチンコ業界は時代に対応するため、創意工夫の努力を積み重ねてきたのです。そして2020年、ホール売上・約15兆円という巨大産業にまで成長・発展をしました。

 

 

<パチンコ業界の現状>

巨大産業にまで成長・発展したパチンコ業界ですが、現在の取り巻く状況は厳しいものがあります。特にパチンコ遊技人口が減少しており、それに伴いパチンコホールも減少傾向にあるのです。

 

その要因としては主に次の3点があげられます。

〇射幸性を促すイベントやキャンペーンの規制強化

〇出玉規制の強化

〇インターネットの普及による娯楽の多様化

 

射幸性を促すイベントやキャンペーンの規制強化としては、「大当たりが出やすい」といった表現の禁止があります。

 

出玉規制の強化対象としては、「4時間当たりの出玉率」「大当たり時の出玉数」などの項目があります。

 

インターネットの普及による娯楽多様化の代表はスマホゲームです。またオンラインカジノの台頭も上げられます。

 

<まとめ>

以上、パチンコ業界の歴史を紹介しました。

 

パチンコ業界の今後の見通しは不透明です。しかしそうであってもパチンコ業界は余暇産業第一位の地位にあります。業界の底力を発揮することで、今までも時代の要請に対応してきたように、これからも創意工夫の対策を講じて現在の厳しい状況を乗り越えていくことでしょう。

 

例えばパチンコ機メーカー関連の企業は、過去から培ってきた高い技術力を持っています。それを活かせば、海外進出など様々な分野に応用することができます。

 

またカジノ解禁の動きは、パチンコ業界にとってもビジネスチャンスになると思われます。

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